小説「L change the WorLd」 は「小説すばる」を去年購入して一読後そのまま放置。
小畑画伯の華麗なイラストに惹かれながらも「ま別にいいか」と本は結局購入していないのですが。(月のイラストも立ち読みで見れたので)
先日映画を鑑賞してから、「L大好きモード」に入ってしまい、その勢いで小説も読み返してみました。
読後に勢いで感想かけばよかったんですが、時間が経ってしまったのでやや冷静です。。。
映画と比べながら書いたら恐ろしく長くなってしまいました。
「お前何様じゃああ!!」みたいなえらそうな内容になってしまいましたが、単なる一個人の考察と個人的な感想ですので、気分を害されたら申し訳ありませんと最初に謝ってみます。すみません。
一応「L change the WorLd」関連の感想です。(オタクですね。。。)
小説■
感想メモ(ネタバレ)
映画■
その1(舞台挨拶)/
その2(ネタバレ)/
追加メモ(ネタバレ)/
2回目(ネタバレ)
* * *個人的な好みとしてスピンオフはデスノート本編の勢いに比べればはるかに劣りますが、ストーリーはやっぱり普通に面白いと思うし、小説は映画より全体的にまとまってるなあと思いました。
話はすごく強引なんだけど、映画のような唐突感はなく整合性はきちんとしてるし、映画では「アンタ何だったの?」みたいな扱いだったFBIの駿河とか九條の個人的な背景とかワタリとの関係とかきちんと描かれてるよなあと思いました。
文字で説明できる小説ならではかもしれませんが。
九條の改心?も小説の方が納得できる形な気がします。
全体に散りばめられているオマージュ設定もなかなか良い遊び心として受け入れられましたし。
何より小説では普通にLが活躍しているのが良いです。
あとワタリとの関係とかもなんとなく小説の方が好きな気がします。
Lがワタリに対して敬語なのが「なんか違う・・・」って感じてたんですが、Mさんが何かのインタビューで弁解?してましたね。「映画設定にあわせた」と。
それから、ウィルスのこととかコンピュータのハッキングのこととか物語の背景となる設定をよく調べてるよなあという印象。
映画では「おいおい何ソレ?」みたいな都合よい展開続きで、全体的に陳腐でしたけど、小説はこんなにめちゃくちゃな展開の話なのに、わりとその辺はしっかりしていると思いました。これは素直にスゴイと思う。
つぐみせんせーだったらここまでこだわってたかなあ?
「Lの過去は考えられない」って言ってるのはマジ話なのか、単なる逸らかしなのか。
自分が生み出したキャラが人の手によってどんどんいろんな方向に動き出すのはどんな気持ちなんでしょうね。
それでも一個人として、私がこの小説初読後に一番「受け入れられん」と思ったのは多分コレを「デスノート」の「L」として見た場合なんですよね。
この小説の原作者Mさんは「L」は天才だから天才の考えることなんて普通の人間には分からないというわけで「外から観たL」しか描かなかったそうです。
「Lはこう思った」じゃなく、「Lはこう考えたんじゃないか」みたいは書き方。
これはすごくよかったと思います。
ただ、やっぱりそこには作者Mさんの「L」という人物に対する考察が入るわけで。
「Lはこんな行動とるかなあ?」「Lはこんなこと言うかなあ?」そんな違和感が常にありました。
個人的に「納得できんなあ」と思ったのが、Lが真希に人としての感情を「教えてもらっている」という図式なんですよね。
私はLは「普通に感情はあるけど、それを表に出さないだけ」という考えの人なので。
「Lはそんなことも分からない人間じゃないぞー」というか。もし本当にそうだとしても、多分それを気にしない人だと思うんです(個人的に)。
で、一番「無理だー」と思ったのが、月の時計をしているという設定。
Lが背を伸ばして走るというシーンで、ものすごい違和感。
「痛いです。心が・・・」という台詞で興ざめしてしまいました。
ここで感動したという感想もけっこう見かけたので、否定はしないんだけど、私には無理でした。もうこれはLじゃないと思ったんです。
映画デスノートで「世の中のリアルを知らない」と月に言われてしまったL。
そのLが「世の中のリアルを知る」という場面をきちんと描きたかったんだと思うんですが、ちょっと直接的に描きすぎじゃないかなあ?という印象でした。
あと、Lが月を「たった一人の友だち」として思ってるという設定。
これはこれでいいと思うんですが、なんかその描き方が私の好みに多分あわなかったんだと思います。もっとさらっと思ってる設定にしたら受け入れられたと思うんですが。
つぐみせんせーは「Lは嘘つき」で月のことを友だちなんて思ってないとはっきり言ってますけど、原作だけ読んだらそんなことは深読みでどうとでもとれる展開ですし。
映画も小説も描きたかったのは「Lの変化」だと思うんですが、多分小説のLの感情の描き方が私には受け入れられなかったんです。それは多分Mさんの「L」に対する考察。
松山ケンイチが演じた映画のLは原作とは違うと分かってても、受け入れられたんです。
多分単なる私の個人的な好みだと思うんですが。
映画は全体的に映像でいろんなことを表現しようとしてたし、それが逆に説明不足にもなってたと思うんですが、ことLの人間らしい感情の表現の仕方に関しては素晴らしかったと個人的には思います。(これはこれで賛否あるとは思いますが)
ワタリの遺体に対面する表情とか、デスノート燃やす前のリュークとの会話とか、真希に串刺しスイーツ差し出す場面とか、いや「お前フェチか?」って言われるかもしれないけど、そんなちょっとした場面の表情とかしぐさとか動きとかすごく魅力的だったと思うんですよね。
だからほんと、映画はLを無理矢理ヒキコモリで行動力のない人設定にしたり、電車とか秋葉原とかもいらなかったと思う。Lの変化は、ほんのちょっとで十分だったはず。むしろスピンオフ松田の映像とかいれた方が泣けたと思う。設定も展開もめちゃくちゃだったし本当にもったいない。
とはいえ、映画は映画の良さが、小説は小説の良さがあるので何とも言えません。
小説も「うおー、絶対このL無理だああ。受け入れられん!!」と最初は思ってたけど、今はそこまで拒否反応もないですし、普通に素敵な話だと思う。(原作とは別物前提ですが)
ちなみに私、この小説の駿河さんはなかなか好きです。(映画のナンチャンじゃないですよ)
こういう典型的なお笑い突っ込みキャラってデスノート原作にはいませんよね。松田はやっぱりボケだと思うし。
本編は荒唐無稽なありえない強引なストーリーを大真面目に展開しているのに、誰も突っ込まない。だからこそ独特の世界観が生まれたのかもしれないけど。
駿河さんみたいな人、ニアにはけっこうあってると思うんだけどな。
SPKの人たちはみんないい人だちだけど、基本真面目で、誰もニアに逆らわないと思うんですよね。
小説のラストシーンは印象的ですごく好きです。
原作のLとワタリの関係はよく分からないし、もしかしたらもっと殺伐とした関係なのかもしれないけれど、でもこうだったらいいなあと個人的に思います。
「L FILE No.15」の漫画で子Lに対するワタリの思いがちょっとだけ描かれてたのをみて、なんとなく嬉しくなりましたし。
「ワタリ、私はあなたの期待に応えられていたでしょうか?」
Lが最期にワタリに尋ねる言葉。
同じ台詞を、ニアはいつかLに尋ねそうだという感想をちらほら見かけました。
なんだかせつないですね。
ジャンプの特別編読切を読んだからなおさらそう思うのかなあ。